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自転車との出会い(その3)

僕の住んでいる地域は田舎なので、当時は村内には中学校はひとつしかありませんでした。その後町に昇格し、中学校も二つになり、平成の大合併で隣の町と合併し、今では市内には中学校は四つとなりましたが、とにかく僕が中学校に入学した頃はひとつだけでした。そのためほとんどの中学生は自転車での通学となります。少し前まではギア付きの自転車も許されていましたが、僕が入学する頃にはギア付きは禁止、またスポーティーなハンドルも禁止となっていました。通学用の自転車はとにかく質実剛健な軽快車と決まっていました。僕の自転車も前にカゴが、後ろに荷台がついたごく普通の軽快車でした。今となってはメーカーも覚えていませんが、同じ小学校を卒業した者はほとんどが同じところで購入したため、同じ自転車がやたらと多かったです。ただ、皆が黒いフレームを選ぶのに対し、人と同じものが嫌だった僕は青いフレームを選びました。同じ車種で青フレームを乗っていた奴は他にいなかったと思います。

荷台に取り付けるタイプで折りたたみ式のカゴを後から付けました。車体横に開くタイプです。それからフロントフォークに取り付け、スポークで棒をはじき、チリリリリリ・・・・・・と鳴らせるタイプのベルも取り付けました。僕は比較的真面目な方だったので、自転車の改造はその程度でした。後付部品を付けただけなので改造なんていえない程度のごくごく可愛いものです。中には追加の色付き電球を車体に配し、まるでデコトラのように派手にする者、ハンドルの角度を変え、やたら上を向かせる者(これは悪い子の定番のようで、今でも悪そうな子がそういう風にしているのを見かけます)など、思い思いの改造が施された自転車を見ることができました。

通学用の自転車なので、当然さほど軽い訳でもなく、形も決してスポーティーではありません。だけど中二の夏休み、有料道路を通り、家から数十キロ離れた山までサイクリングに行ったことがあります。その有料道路は所謂XXハイウェイ、とかXXスカイラインと呼ばれる山岳道路でした。ギアなしの重い自転車だったので、その行程のほとんどを押していた記憶しかありません。だけどその時のことは今でもよく覚えています。山に着いた時にはすっかり体力を消耗しており、徒歩での登山などできるはずもなく、結局ケーブルカーで登り、またケーブルカーで下りました。

高校入学の時、ドロップハンドルの自転車を買ってもらえたため、その自転車は結局中学校通学の3年間しか乗らずに終わってしまいました。

高校通学用に選んだのはブリヂストンの「スプリンター」というモデルです。ブリヂストンには「ロードマン」というメジャーなヒットモデルがありましたが、僕が乗っていたスプリンターはほぼ同じ構成でしたので、名前以外に何が違うのかよく分かりませんでした。ただ、スプリンターを選んだのも、ロードマンを買った奴らが多かったという、ただそれだけの理由からです。高校の自転車置き場にはたくさんの黒いロードマンが止まっていましたが、その中で異彩を放っていたのが僕の青いスプリンターです。同じブリヂストンで、構成までほぼ同じなのに名前が違う!しかも青!!よかったのか悪かったのか、よく分かりません。

スプリンター」は、今で言うランドナーに分類されるのでしょうか。ドロップハンドルでしたが、フロント、リアとも泥除けがついており、またフロント、リアともキャリアも標準装備でした。シフトはダブルレバーがフレームのダウンチューブについていました。またセーフティレバーというものが装備されていました。これはドロップハンドルの中央付近、ステム近くを握っていてもブレーキが掛けられるという優れものですが、最近のドロップハンドル車で装備されているのを見かけることはありません。中学通学の自転車から乗り換えた時はすごく軽いと思いましたが、きっと今ならさほど軽いとは感じないでしょう。

僕の父親はクルマの免許を持っておらず、どこへ行くにももっぱら自転車を使っていました。父の自転車はセミドロップハンドルのサイクリングカー(懐かしい響き!)で、中学時代に何度か借りて乗ることがあったのですが、それでギヤ付き自転車の快適さを知っていたので、スプリンターに乗り換えた時には、「これでどこへでも行けるかも」とさえ思いました。きっと中二の時に苦労したあの道も楽に走れると思ったでしょう(実際には二度と同じ道を自転車で走ろうなんて思いませんでしたが・・・)。

高校は自宅から6キロ程度離れたところにありましたから、雨の日と真冬以外はほぼ自転車で通学しました。また、自転車コーナーの扉ページにも書きましたが、休みのたびに毎週20キロから30キロ位の道のりを走っていました。特にトレーニングとかそういうのとは違いますが、気に入ったルートが2、3ありましたから、そこを毎週のように走りました。また、約50キロはなれた県庁所在地まで、あるいはもう少し離れた、全国的に結構有名な神社までサイクリングしたりもしました。夏のサイクリングでは、今思えば脱水症状直前までいったこともあります。首もとの汗を拭うと砂粒のような感触が。汗の中の塩分が再結晶化していたようです。それから、10キロ位の道のりをバスと競争(勝手にこちらがそう思っているだけですが)をよくしたものです。バスは停留所で止まりますし、加速ものんびりですから、こちらが本気で走れば競争相手にちょうどよく、いい運動になりました。おかげで高校時代は吹奏楽部だったにもかかわらず、大学入学直後は運動部出身と思われるほどの体型を維持できていました(今では見る影もありませんが・・・)。

高校を卒業し、バイクに乗り換えた後はキャリアと泥除けを外し、軽量化を図りました。バイクで免停(60日)中も僕の足として頑張ってくれていたのですが、ある夜、バイトに急いでいた僕は駐車禁止の細い道路に路上駐車していた車に激突してしまい、フロントフォークを曲げてしまい、ハンドルを切るとフロントタイヤにペダルが接触してしまう様になってしまいました。曲がる時にはペダルを前後ではなく上下に保ちながら漕がずに進むしかありませんでした。激突時の怪我(といっても打撲程度でしたが)のため、しばらく乗らずにいましたが、そのうち免停も解け、それ以降は乗ることはありませんでした。

それからしばらくはバイクとクルマの生活となり、しばらくは自転車から離れる生活を送ることになります。