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自転車との出会い(その2)

自転車に乗れるようになったものの、自分の自由になる自転車はありませんでしたから、友だちに借りて公園の中だけで限られた時間だけしか乗ることができませんでした。ところが急遽、家庭の都合で親父の実家に引っ越すことになりました。それが現在住んでいるこの場所なのですが、当時の僕には、本当に急な話でしたので、たいそう驚きました。たぶん「引越しなんかしたくない」とだだをこねたりしたと思います。それまでも、例えば夏休み間の数週間、一人で泊まったりしたことはありました。地方都市とは言え、都会で生活していた僕には田舎の夏休みは新鮮で、迎えに来た親父を追い返したこともあったそうです。それに、当時(昭和40年代前半)家族四人で四畳半一間のアパート暮らしでしたから、一戸建てに住めることは魅力的でした。でも田舎に定住すること、そして友だちと別れることを思うと、とても喜べませんでした。両親も困ったと思います。

ところが、「引っ越したら自転車を買ってやる」という魔法の一言で、「諸手を上げて」という訳ではありませんが、引越しを承諾したのでした。

少し話はずれますが、引越しは小学校一年生から二年生になる春休みでした。近所の空き地で近くの友だちと遊んでいたら、母親が私を呼びに来ました。「学校の友だちが何人かでプレゼントを持って来たよ」と。急いで家に戻りましたが、そこには友だちが置いていったプレゼントだけが残されており、友だちは既に帰ってしまっていました。その時の寂しさは三十数年たった今でも覚えています。その日は春の穏やかな日差しが気持ち良かったです。でも引越し当日はあいにくの雨。僕は親父とトラックに乗って新居まで移動しました。トラックを見送りに、近所の友だちも来てくれました。雨にゆがんだトラックのフロントガラス越しに見える、夜の信号機と他の車のテールランプをぼんやり眺めていると、寂しさがさらに増したものです。だから、学生時代や結婚したての頃、それと仕事の関係で何度か今とは別の場所に住んだこともありますが、新しいところでの生活はすごく楽しみなのに、今住んでいるところを離れなければならない引越しは苦手です。

さて、引越して数日後、我が家へピカピカの新車が届けられました。青いフレームの、少しだけタイヤの径が大きめの、僕専用の自転車です。当時の自転車は、子ども用と言えども、今時のものとは違って、大人の自転車を小さくしたような、荷台もついて、センタースタンドのごつい形をしていました。それでも自分専用の自転車です。嬉しくない訳がありません。いつでも好きな時に乗れる僕だけの自転車。自転車は宝物でした。

うれしくて、毎日乗り回しました。当時、家の周りの道路はどこも砂利道。舗装などされていませんでしたので、とても乗りづらい環境でしたが、とにかくどこへ行くにも自転車でした。雨が降ると自転車に乗れないので、雨の日は嫌いでした。たまに小学校まで自転車に乗って通学しました。学校では自転車通学は禁止されていたので、学校近くの廃屋の物置などに隠しました。家から小学校まで片道3Km位あったので、普段は子どもの足では一時間近くかかりましたが、自転車ならあっという間に着いてしまいます。腕時計を手に入れた時、「最高に飛ばしたらどれ位で家まで着くのだろう?」という疑問を解消するために時間を計測したことがあります。3Kmの道のりを、子ども用自転車で7分で走り切りました。今思えば随分危険なことをしましたが、当時は道路もそんなに車通りが激しくなかったためにできたのでしょう。今、我が家のお子ちゃまたちがこんなことしようとしたら、たぶん叱ると思います。

結局、中学に上がる際に通学用に自転車を購入するまで、丸5年間、その自転車は僕の足となって、僕をいろいろなところへ連れて行ってくれました。サイクロン号を真似てジャンプしたり、無茶な乗り方をしたため派手に転んだりと、結構無茶な乗り方をしましたが、大きく壊れることなく、僕の最初の自転車ライフを満喫させてくれました。