Tom's Toy Boxsince 2008

購入以前(その1)

コンピュータ。それは壁一面にランプやメーターがついていて、いつもどこかがピカピカと光っていて、孔の開いた紙テープが吐き出されてくるもの。その紙テープを読むと、何か重要な情報が記されている。

僕のコンピュータ観など、所詮ウルトラマンに出てくる、科学特捜隊本部を想像する程度の、そんなものでした。なぜかたまに小学校のゴミ捨て場に孔の開いた紙テープが捨ててあることがあり、僕たちはそんなお宝を見つけた日にはコンピュータごっこをしたものです。実際に見ると全く文字の形をしていないので、何と書いてあるかなんて全くわからないのに、「ふむふむ」なんて、書かれてあることが分かったかのようにうなずき、「XX君、緊急事態だ。至急出動してくれたまえ」なんて指示をだしたりして。

大学で初めてコンピュータというものに接しました。当時はコンピュータに関しては劣等生だったので、もちろん機種など覚えているはずもなく。それでもキーボードで打ち込んだ文字が画面に映し出されるのは新鮮でした。当然、大学に入って初めてキーボードに触れた訳ですから、一文字打つにも、キーボード上を探しに探して、やっとお目当ての文字が打ち込める。今となっては笑っちゃうくらい大変な思いをしてパンチしていました。ディスプレイはグリーンのキャラクターオンリー、恐らく縦25行、横80桁のもの。今時の液晶ディスプレイなどと比べちゃいけません。

授業ではPL/Iという言語で簡単な事務処理プログラムを作るというもの。ところが僕は一番最初のところでつまづいてしまったのです。

A = A + 1

この理屈が全く理解できませんでした。言っておきますが、文系の大学生でしたが、受験の時は歴史に替えて数学で受けた位ですから、数学ができない訳ではありません。しかし「なぜA+1がAと同じなんだ?」というところが全く理解できず、コンピュータ劣等生の人生が始まったのです。

「電子計算機」(コンピュータの授業はこういう名前でした)は一般教養なので、本来なら1年、2年と2年間で終わるのですが、1年でつまづき、2年、3年はサークルの練習時間と重なるので(この授業は通常2マス使うので、だいたい土曜日の午後だったが、練習も土曜日の午後だったので、見事にバッティングした)ほとんど出席しませんでした。ところが電算(電子計算機の略)は必須科目なので、これが取れないと卒業できません。いよいよやばいということになり、同じく4年まで電算を持ち越した同級生の女の子と、同じ授業に出ているお互いの後輩の力を駆使して、何とか課題を提出することができ、無事卒業の運びとなりました。

今思えば笑っちゃう位簡単な課題だったのですが、「A = A + 1」が「Aに1を加算する」ということだと理解できるまでに相当時間がかかりました。まあそこを理解してからはスイスイだったんですけどね。

当時授業で使っていたコンピュータは大変遅いマシンでした。コンパイルを投入してからタバコを吸いに行き、喫煙所で友人と軽くダベって、戻ってもまだコンパイルが終了していない、なんてことはざらにあることでした。それに加えて、コンパイルエラーとなった日には、エラーリストは英語だし、リファレンスを読んでも、なんか小難しく書かれていて、何が悪いのやらさっぱり分かりませんでした。しかしそこは4年も同じ先生の授業をとっていると、先生ともかなり仲良くなれますから、「先生、このエラーはどういう意味なんでしょう?」なんてことを軽く聞いちゃいました。結局、たいがい定義したワークのタイプミスだとか、たわいもない理由です。

とにかく、留年することなく卒業できて、本当によかった。