Tom's Toy Boxsince 2008

カメラとの出会い(その1)

僕の父も凝り性で、僕ほどいろいろな方面には手を出しませんでしたが、特定のジャンルにはかなりのめりこんだり、こだわったりしました。曰く「ブラウン管は日立だ」。曰く「モーターなら三菱だ」。30年以上前の話です。今とは状況が違いますし、父の話が本当だったのかどうかなど分かりませんが、そうやって各ジャンルで一番のものを選ぼうとしていました。

父は随分早い時期からカメラを所持し、我々家族の写真を撮ってくれました。父は道楽のひとつである小動物の飼育(魚なら金魚から始まって、最後はピラニアを飼っていましたし、文鳥や十姉妹から始まった小鳥の飼育も、果ては錦鶏、銀鶏等、雉に近い鳥までに幅を広げました。)のため、またクルマの免許を持っていなかったこともあり、旅行などには連れて行ってくれませんでしたが、なにげない日常を撮影してくれていました。

そんな父のこだわりのカメラは、マミヤでした。正確な機種名は忘れてしまいましたが、35ミリフィルムのレンジファインダーカメラでした。小学校高学年になった頃の僕はカメラにものすごく興味があったのですが、父のカメラはピントの合わせ方がよくわからず、ほとんど手にすることはありませんでした。父はたまにピントの合わせ方を教えてくれました。「ファインダー越しに見える画像は二重になっているはずだ、それをピントリングをまわしてうまく重ねる、そうすればピントがあった状態だから」と。でも僕がやるとどこか完全にかさならないところがあるんです。今思えば一番ピントを合わせたいところが二重になっていなければよかったのかもしれませんが、当時の僕はファインダーの中の画像全てが完全に一致しなければだめだと思い込んでしました。また、露出もだいたいのところで合わせるようになっていたと思います。例えば今日は快晴だから絞りはこれくらい、とか、昼間の室内ならこれくらい、と言った感じです。一応なにか目盛りのようなものは付いていましたが、どう使えばよいのか分からずじまいでした。

ちょうどその頃、110判といわれるカートリッジに入ったフィルムを使用する、固定焦点式のカメラがはやっていました。このカメラを買ってもらった友人がおり、見せてもらいました。メーカーも機種も全く覚えていませんが、長方形で通常のカメラより細長く、鉛筆1ダースの紙箱のような形、大きさは箱よりふた回り位小さく、箱の倍位の厚みだったように記憶しています。ピント合わせがいらないものでしたし、フィルムはカートリッジをセットするだけでしたので、ピント合わせと絞り(ついでに言えば、フィルムの装填も難しく感じていました)が原因でカメラに手を出せないでいた僕にとって、まさに夢のようなカメラでした。