Tom's Toy Boxsince 2008

カメラとの出会い(その2)

ポケットカメラという夢のようなカメラの存在を知った僕は、早速近くのスーパーに入っていたカメラ屋さんを覗いてみました。友人のものと同じかどうか分かりませんが、同じような形のカメラが、確か1万円前後の値段で売っていました。そのカメラには、使いきりのフラッシュが8発位同梱されていました。僕はそのカメラが欲しくてたまりませんでした。それこそどこぞのコマーシャルのように、行く度ににショーウィンドウの中を覗き込みました。

あまり熱心に眺めていたせいか、カメラを買ってもらえることになりました。小学校6年生の時です。いつも覗いているカメラ屋さんではなく、親がフィルムの現像に使っているカメラ屋さんで購入することになりました。僕はまだ当時カメラには詳しくなかったので、110判フィルムのカメラであれば、特にこだわりはなかったのですが、その店にちょっと変わったカメラが置いてありました。

そのカメラは見慣れたポケットカメラのようですが、ボディからはみ出すような大きな丸いレンズが付いていました。つまりポケットカメラに普通のカメラのレンズを付けたような形です。お店の人の説明によれば、この大きなレンズはズームでした。発売されたばかりの「ポケットフジカ350ズーム」というカメラです。友人のカメラも近距離、遠距離と2段階の切り替えは出来たと思いますが、無段階のズームはとても魅力的で、ひと目で気に入ってしまいました。当時の販売価格は21,550円。スーパーのカメラ屋さんで眺めていたカメラと比べて、いきなり倍以上です。でも僕の中ではこのカメラ以外考えられなくなっていました。結局親を説得して(ねだって?)このカメラを買ってもらえることとなりました。

ポケットフジカ350ズーム(前面) ポケットフジカ350ズーム(背面)
数十年ぶりに出してみました

このカメラ、ポケットカメラなのですが、一応ピントを合わせる必要がありました。とは言え、一眼レフやレンジファインダーのようにファインダー越しにピントが合ったかどうかを確認できるわけではありません。レンズの縁に書かれた距離(1.5mから無限大まで)を被写体までの距離を目測して合わせる方式です。まあ若干合っていなくても所詮小学生ですからあまり気にしませんでした。また、絞りもお天気マーク(快晴、晴れ、曇り)の3段階で調整できました。一応ズームに合わせてファインダーの視野が変わります。フィルムはレンズ付きフィルムと同じようにカリカリと巻き上げるタイプです。

購入してすぐ、遠足がありました。行き先は日光。買ってすぐに日常(というか家の周り)を撮ってフィルムを数本消費していましたが、今回は初めて思い出を残すという目的での使用です。カメラの中に仕込んだ24枚撮りのフィルムの他に、予備の1本をナップサックに収め、いざ出発です。華厳の滝、東照宮と写真スポットには事欠きません。あっという間に2本のフィルムを取り切ってしまいました。現像した写真は、ほぼ納得のいくものでした。華厳の滝を写した写真を友達と見ては、「これ幽霊じゃない?」などと飛沫の偶然を怖がったりもしました。ただ、1枚だけ、全く撮った記憶のない写真がありました。洞窟の中から外に向けて撮ったような写真なのですが、下は水。水の中に立たなければ撮れないのでは?という写真です。前後の写真から、恐らく竜頭の滝で撮ったと思われるものです。その写真自体はもうどこかにいってしまいましたが、今だに不思議に思う写真です。

ポケットフジカ350ズームにはストロボが付いていませんでした。当時ストロボ内蔵のカメラは珍しかった(なかった?)ように記憶しています。夜でも写真が撮れるというのは大変魅力的です。そこで、お小遣いをためて、ストロボを購入しました。ストロボが光るのが面白くて、フィルムが入っていないのに、ピカピカ光らせては悦に入っていました。しかししばらくしてだんだん光らなくなってきました。僕はストロボが壊れたのだと思い、ストロボを分解してしまいました。結局光らなくなった理由が分からず、ほとんど撮影に使うことなくストロボは放置となってしまいました。今思えば、単に電池がなくなっただけだったのだと思いますが、懐中電灯のイメージしかなかった当時、そんなに簡単に電池がなくなるとは思っておらず、また替えの電池もアルカリ電池ではなく、普通のマンガン電池だったのが、そんな誤解を生む原因だったのでしょう。

それ以降のこのカメラに対する記憶はほとんど残っていません。恐らく中学校の修学旅行にも持っていったとは思います。でもこのカメラで撮影した記憶が全く欠如しています。

カメラ自体はほとんど絶滅状態ですが、110判のフィルムは今でも入手できるそうです。気軽に撮影でき、フィルムの扱いも比較的簡単だったこのカメラに僕は撮影の面白さを教えてもらったと思っています。